新型コロナウイルスとSDG4達成: 教育への投資は?(その2)

解説:北館尚子(シニア・コンサルタント)
一橋大学卒業、ハーバード大学大学院修了。元UNESCO(国連教育科学文化機関)職員

前回の記事では、新型コロナウイルス・パンデミック(以下、「パンデミック」)以前のSDG4の達成状況及び教育支出状況を振り返りましたが、本記事では世界的なパンデミックがもたらす教育支出への今後の影響に関する懸念についてお伝えします。

新型コロナウイルス・パンデミックが引き起こす世界的な経済不況

今回のパンデミックは、世界中のあらゆる経済活動の停止や停滞を引き起こし、すでに2020年中に世界経済は深刻な規模での不況に陥ることが予測されています。
国際通貨基金(IMF)は、最新(4月)の世界経済見通しの中で、パンデミックの影響により2020年の世界経済の成長率はマイナス3.0%になるという予測を発表しています。このマイナス成長率の予測値は、2009年の経済危機の際の実績値(マイナス0.1%)を大きく上回ることから、世界経済は1930年代の大恐慌以後で最悪の景気後退に見舞われるという見方を示しました。

参照:IMF | World Economic Outlook, April 2020: The Great Lockdown

パンデミックの影響による世界貿易の縮小について、国連貿易開発会議(UNCTAD)の5月13日の発表によれば、2020年の第1四半期に世界の貿易総額は3%減少し、第2四半期にはさらなる悪化が見込まれ前四半期比で27%の減少が予測されると報告しています。

参照:UNCTAD | COVID-19 triggers marked decline in global trade, new data shows

こうした経済活動の停滞が雇用に及ぼす影響も深刻です。国際労働機関(ILO)の4月末の推計では、世界中でパンデミックによる職場閉鎖や業務中断等の影響により、2020年後半の世界の労働時間合計はパンデミック以前より10.5%減少し、少なくとも3億5百万ものフルタイムの雇用が失われると予測しています。パンデミックによる雇用と所得への影響は、世界の就業総人口33億人のうち20億人を占める非公式経済の労働者(未登記で法人化されていない零細事業の従事者)に特に甚大で、すでにパンデミックの影響で非公式経済の労働者は60%の所得を失っており、このままでは生存すらが危ぶまれる危機的な状況に陥っていると指摘しています。

参照:ILO | ILO Monitor:COVID-19 and the world of work. Third edition Updated estimates and analysis 

経済不況が及ぼす教育支出への影響

世界の教育支出の主な担い手は「政府」「家庭」「開発援助」の三つです。UNESCOが毎年世界の教育の状況を取り纏めて発表している「グローバル教育モニタリングレポート」の最新(2019年)版によると、世界中で教育に費やされている支出の総額は4.7兆ドルで、そのうち負担割合が最も大きいのが政府支出で全体の79%を占めており、家庭支出は20%、開発援助はわずか0.3%となっています。一方、国や地域によって教育支出の負担割合は大きく異なっています。高所得国では政府支出が82%、家庭支出が18%であるのに対し、低所得国では政府支出が59%、家庭が29%、開発援助が12%となっており、低所得国ほど家庭負担の割合が高くなっています。また、国や地域による支出額の偏りも顕著で、高所得国グループと低所得国グループで比較すると、両グループの学齢期の子供の数はほぼ同じであるにも関わらず、教育支出額の全体の65%を占める3兆ドルは高所得国で費やされ、低所得国での支出はわずか0.5%(220億ドル)となっています。

参照:UNESCO| Global Education Monitoring Report 2019 

上記の通り、パンデミックの影響による世界的な景気後退と雇用と所得の喪失が拡大する中、政府、家庭、及び高所得国の政府支出に由来する開発援助という教育支出の三つの担い手の財政状況が悪化することは避けられない状況で、特に政府と家庭の財政基盤が元々脆弱である低所得国において、今後の教育支出がさらに大きく削減されることが危惧されています。
UNESCOは4月に発表した報告書で、過去の危機的状況がその後の教育支出に及ぼした影響の教訓から、今後の教育支出の減少を予測しています。

2009年の経済危機の教育支出への影響 

  • 大半の国はで経済危機後も政府教育予算のGDP比割合は据え置かれたものの、経済停滞によりGDP総額が減少したため、結果的に多くの国で政府教育支出額が減少した。
  • 2008年まで着実に増加していた教育へのODA(政府開発援助)額が2008年以降停滞した。
  • 25のOECD加盟国のうち、13カ国で教員給与の増加凍結または削減が行われた。
  • 複数の国で、学校が政府予算の減少を補填するために家庭から徴収する費用を増やしており、こうした費用の支払いが困難になった家庭が増大していた。

2014-15年のエボラ熱感染拡大の教育支出への影響 

  • エボラ熱感染拡大が深刻であったシエラレオネでは、2014-2015年の間にGDPが20%減少し、政府教育予算のGDP比割合はこの期間に2.8%から3.1%に増加していたにも関わらず、政府教育支出額は11.8%減少した。

こうした過去の経験を踏まえ、今回のパンデミックは二つのレベルで教育支出に影響を与えると同報告書で指摘しています:

  1. パンデミック対応として新たに必要な追加的教育措置のための資金の不足(遠隔教育の拡充、試験制度や評価制度の改変、追加的な保健衛生措置、追加的な教員研修や支援、追加的な家庭への支援、等)。
  2. 将来的な教育への財政資源の減少リスク(政府収入減少による政府教育予算の減少、家計収入減少による家庭の教育費の減少、本来教育に当てられたはずの資金が保健分野等へ振り返られる可能性、等)。

その上で、このまま教育支出のための追加的な資金源の確保ができなければ、教育格差の広がりと学習危機の悪化をもたらし、SDG4の達成が困難になると指摘し、各国政府に対しては教育予算の保護を提唱し、ドナー国に対してはODA拠出の国際基準であるGNI比0.7%を満たして教育支援に一層の貢献することを要請しています。

参照:UNESCO | Anticipated impact of COVID-19 on public expenditures on education and implication for UNESCO work

また、世界銀行(World Bank)は5月に発表した報告書で、パンデミックの影響により教育支出の三つの担い手である政府、家庭、開発援助の全てが資金難に陥ることから、教育支出は三重のショックに見舞われるとして、政府、家庭、開発援助それぞれの教育支出の減少に関する分析と、対策の提言を行なっています。

政府による教育支出への影響

  •  世界的な経済不況による政府収入の減少で、政府教育予算総額の減額が見込まれる。
  • パンデミック対策のための保健医療分野等への政府予算配分の優先順位の見直しによって、政府予算における教育支出の割合が削減される可能性が高い
  • 2020年の悲観的予想として、各国政府が政府予算における教育支出の割合を10%削減する場合、一人当たりの政府教育支出が世界全体で5.7% 減少すると予測される。
  •  2021年には世界的に経済成長率はプラスに転じることが予想されるが、教育支出は停滞または減少が見込まれる。教育支出が増加する場合でも、パンデミック以前の計画よりもかなり低い割合での増加となるであろう 
  • すでにパンデミックの影響で政府教育予算の削減または予定していた増額の凍結を決めた例が見られる(ウクライナ、ナイジェリア、ケニア、カナダ、アメリカ)。

家庭による教育支出への影響

  • 世界的な不況による雇用機会の喪失と所得の減少が家計支出を直接に圧迫し、今後の教育支出の大幅な減額が見込まれる
  • 出稼ぎ労働をしている家族からの海外送金に収入を頼っている家庭が多い低中所得国において、これまでの調査から海外送金は家庭の教育支出の増加に重要な役割を果たしていることが分かっているが、2020年中に低中所得国が受け取る海外送金額はパンデミックの影響で推計で20%(約1千420億ドル )減少するため、影響を受ける家庭は教育費を捻出することが出来なくなると予測される。
  • 所得の減少に加えて、パンデミックによる健康被害と医療費の増大が重なることにより、ますます家庭が教育支出を賄えなくなる。
  • 低所得国において過去の天災・病気の流行・経済危機などの影響により家庭の所得が減少したことにより教育支出が減少し、就学率の低下等の悪影響が出たことが分かっている。 
  • 家庭の所得の減少は、私立学校から公立学校への転校を加速させ、政府負担がさらに増大する(インドネシアで、アジア経済危機の後、私立中学校の入学者数が減少し、公立学校への入学者が顕著に増加した)。

開発援助による教育支出への影響

  • 教育に対するODA支出額は、2009年の経済危機以前の5年間に年率約10%増加していたが、経済危機後の5年間では年に約2%の割合で減少傾向を示していた。経済危機から7年後の2016年にようやく経済危機発生以前の水準に戻った。
  • 2007年から2016年の間に、ODA全体における教育支援の割合は11%から8%に減少している。 
  • ODA総額も、パンデミックの影響による援助提供国の経済不況により減少が見込まれる。
  • 基礎教育分野への最大のドナー国の一つである英国は、GDP比0.7%というODA拠出の国際基準を満たしているが、2020年には英国経済は6.5%縮小することが予想されるため、英国のODA予算額が実質的に約14億ドル削減されることが見込まれる。

三つの政策対応提言

  • 財政的にパンデミック対策のための特別支援予算を工面する余裕がある国の場合、対策予算の中に教育予算を組み込むことが重要である。
  • 財政的に特別予算を工面する余裕がない国の場合、既存予算の組み替えで対応する必要がある。緊急対応の初期には医療保険及び生活保護分野への支出が優先されるが、政府は長期的な経済成長のための投資として教育予算を増額することを検討すべきである。
  • 既存予算の組み替えも困難である国の場合、既存の教育予算の中での組み替えが必要となる。優先順位としてはパンデミック対応のために必要な追加的費用の支出及び教育の継続を最優先とし、緊急に必要ではない予算項目からの一時的な振替を行う。またこの機会に教育支出の効率性と公正性を見直し、教育資源の配分が人口分布や社会状況を考慮に入れた適正な配分となるよう改善する。
  • ドナー国は、各国政府が資源を最も脆弱なグループに優先的に配分するように支援し、短期的には緊急支援資金を提供して各国政府がパンデミックに対応することを支援し、中期的にはODA全体の中の教育の割合を増加させる等、教育支援の増額を検討すべきである。
  • 途上国政府は、教育支出の外部資金源として従来のドナー以外の新しい追加的な資金源(慈善団体や民間企業など)の動員を検討すべきである。
  • パンデミック危機による学習の喪失を最小限に抑えられるよう適切な予算対応を講じるためには、教育支出状況を的確にモニタリングし、パンデミックによってどのように教育支出が影響を受けているかを的確に把握しすることが重要である。正確な支出データがあれば、パンデミックの影響を考慮した中長期的な予算計画も容易になる。

参照:World Bank | The Impact of the COVID-19 Pandemic on Education Financing

民間からの教育投資への期待と現状

これまで見てきたように、パンデミックが教育支出の三つの担い手(政府、家庭、開発援助)の資金繰りを逼迫させ、今後の教育支出が大幅な減少を余儀なくされることが不可避な状況の中で、残された教育のための資金源の可能性として民間からの投資への期待がますます高まっています。2015年のSDG採択当時から、SDG達成のためには民間の力が不可欠であることが認識されており、SDG関連の民間投資を促す様々な取り組みが行われてきました。

一方、UNCTADが2019年に発表した、2015年以降のSDG関連分野への投資の動向に関する報告書で、期待した通りにはSDG達成のための民間投資が進んでいないことが指摘されています。特に、SDG4関連の教育セクターにおける民間投資の状況は、元々民間部門の投資割合が15%と他のセクターと比しても低く(SDG2関連の食料・農業セクター:75%、SDG3関連の保健セクター:20%、SDG6関連の水・衛生セクター:0–20%、SDG7関連のエネルギーセクター:40–50%、 SDG9関連の通信セクター40–80%、SDG 9と11関連の交通セクター:30–40%、SDG13関連の気候変動緩和セクター:40% )、2019年時点での投資動向の評価でも他の多くのセクター(食料・農業、保健、通信、交通、気候変動緩和)では投資が増加傾向を示しているにも関わらず、教育セクターへの投資は減少傾向を示していることが示されました。

参照: UNCTAD | SDG Investment Trends Monitor

また、SDG達成のための財政状況について国連が4月に発表した最新の報告書においても、パンデミック以前の時点で世界全体の民間投資の成長率が伸び悩んでいたことを報告し、今後SDG達成のための民間投資を増やすためには様々な法制度的、技術的な変革が必要であると指摘しています。この報告書では、SDG達成のための民間参加の仕組みの一つとして期待されているブレンドファイナンス(公的部門と民間部門が連携して開発課題解決のための投資を行う方法)の分野別の投資状況の分析データを発表しており、教育分野への民間投資が進んでいない現状が示されています。ブレンドファイナンスによる資金調達額は年々増加しているものの、対象分野に大きな偏りがあり、エネルギー(28%)と金融サービス(27.5%)分野だけで全体の半分以上を占める一方、教育分野への投資は僅かに0.4%でした。教育分野への民間投資が中々増えない要因として、教育分野への投資に対する利益の見通しが不透明であることが指摘されています。

参照:UN | Financing for Sustainable Development Report 2020 

期待が大きい民間投資ですが、SDG4達成のための教育分野への民間の参画は、パンデミック以前にも課題が多かったというのが実情です。パンデミック発生後の世界で教育民間投資を促進するためには、柔軟な法制度や仕組みの整備とともに、全く新しい発想と技術革新によるイノベーションが必要となることは間違いありません。

(次回は、新型コロナウイルスは1990年以来初めて「人間開発」の後退を強いるのか?について報告いたします。 )

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