新型コロナウイルスと人間開発(その1)

解説:北館尚子(シニア・コンサルタント)
一橋大学卒業、ハーバード大学大学院修了。元UNESCO(国連教育科学文化機関)職員

5月20日に国連開発計画(UNDP)が、新型コロナウイルスが人間開発に及ぼす影響についての報告書を公開し、1990年にUNDPが報告を開始して以来初めて、人間開発の進歩が後退する恐れがあるという深刻な見通しを発表しました。特に、世界各国が感染拡大防止のための学校休校措置を取ったことによる学校教育の大規模な中断が人間開発の後退に及ぼす影響が甚大であると指摘しています。

参照:UNDP|COVID-19 and Human Development: Assessing the Crisis, Envisioning the Recovery

今回の解説ではこの報告書をもとに、新型コロナウイルスと人間開発について振り返ってみたいと思います。

人間開発と人間開発指数

元々「人間開発」という概念は、国や社会の発展や進歩を測る基準として、それまで主流であった所得水準や経済成長率などの経済的な豊かさの指標のみではなく、一人一人の人間の健康や、教育を受ける権利、自由などの福利が満たされているかどうかという人間中心の視点も取り入れるべきであるという考え方から生まれたものです。
この人間開発の度合いを数値化するための指標として、パキスタンの経済学者マブーブル・ハック氏が、ノーベル経済学賞受賞者であるアマルティア・セン氏を含む他の専門家の協力を得て、長寿(出生時平均余命)、教育へのアクセス(成人人口の平均就学年数、入学年齢の子どもの期待就学年数)、人間らしい生活水準(一人当たり国民総所得)、という3つの次元における総合指数として人間開発指数(HDI) を考案し、1990年以降ほぼ毎年、UNDPが指数を取りまとめて「人間開発報告書」として発表してきました。
人間開発の考え方の中で、教育は必要不可欠な要素となっており、人間開発指数の算定に使われる上記の4つの指標のうち、2つが教育の状況を示す数値となっています。

参照:UNDP|Human Development Reports

1990年の発刊以来「人間開発報告書」は、その年に浮き彫りになった開発課題や新しい社会のトレンドなどを毎年の報告書のテーマとして掲げてきました。この人間開発報告書のテーマを振り返ることで、過去30年間の世界の開発の歩みの大まかな流れを辿ることができます。


これまでの「人間開発報告書」のテーマ一覧

1990年 人間開発の概念と測定
1991年 人間開発のための資金調達
1992年 人間開発と世界経済
1993年 参加型開発
1994年 人間の安全保障
1995年 ジェンダーと人間開発
1996年 経済成長と人間開発
1997年 貧困と人間開発
1998年 消費と人間開発
1999年 グローバリゼーションと人間開発
2000年 人権と人間開発
2001年 新しいテクノロジーと人間開発
2002年 分断化された世界での民主主義の深化
2003年 ミレニアム開発目標(MDGs):貧困撲滅のための約束
2004年 多様な世界における文化の自由
2005年 岐路に立つ国際協力:不平等な世界での援助、貿易、安全保障
2006年 水不足を越えて:水資源をめぐる権力闘争と貧困
2007/8年 気候変動との戦い:分断された世界で試される人類の団結
2009年 障壁を乗り越えて:人の移動と開発
2010年 国家の真の豊かさ:人間開発への道筋
2011年 持続可能性と公平性:より良い未来を全ての人に
2013年 南の台頭:多様な世界における人間開発
2014年 持続可能な人間開発:脆弱性を減らし、強靭性を高める
2015年 人間開発のための仕事
2016年 全ての人のための人間開発
2019年 所得を越えて、平均を越えて、現在を越えて:21世紀の人間開発格差


このように次々と新しく表面化する課題や潮流に直面しながらも、冒頭のUNDPによる発表が示唆するように、過去30年間にわたって人間開発指数は常に上昇傾向を示してきました。ところが、新型コロナウイルスの影響によって集計開始以来初めて今年は人間開発指数の低下が予測されるという、開発援助に関わってきた我々にとってはショッキングな見通しが示されました。

(次回は、新型コロナウイルスが人間開発に及ぼす影響、特に学校教育の中断と人間開発の関係について報告します。)

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