ケニアの子どもたちの失われた1年(前編)

解説:杉山竜一(プリンシパル・コンサルタント)
東京学芸大学卒業、同大学院修了。上智大学・グローバル教育センター・講師

取材協力:長沼啓一(株式会社アイリンク 代表取締役)
元ケニア・理数科教育強化計画(SMASE)プロジェクト・チーフアドバイザー

2020年7月7日、ケニア政府は来年1月までの学校閉鎖継続、全員留年とするという発表をしました。日本でも主要なニュースサイト(例えば朝日新聞)がすぐに報道しましたのでご存じの方も多いと思います。

このニュースに私は少なからずショックを受けました。ケニアで一体何が起こっているのでしょう?ケニアの教育事情に詳しい長沼啓一氏にもご協力頂き、ケニアの様子を少し調べてみました。その内容を前中後編3回に分けて報告します。

新型コロナウイルスの感染拡大が続くケニア

ケニアの首都:ナイロビの風景(写真提供:長沼啓一氏)

ケニアは、一人あたりGDP(PPP current international dollar)は4509.3ドル(2019年*1)。世界銀行の分類では低中所得国に分類され、経済的に豊かな国とは言えませんが、サブサハラ・アフリカの中では6番目に多い、人口約5300万人(2019年)を有する東アフリカの大国です。

教育熱心な国で、下表の通り、総就学率はサブサハラ・アフリカ平均を大きく上回っています(※高校の総就学率は不明のため卒業率を掲載しました)。本当に多くの子どもたちが就学機会を奪われたことがわかります。

表1: 総就学率(カッコ内は該当年)
ケニアサブサハラ・アフリカ
小学校103.21% (2016)98.63% (2018)
中学校92.60% (2016)51.18% (2018)
高校53.11% (2016) ※33.95% (2018)

ユネスコ統計局データベースより筆者作成(2020/7/30取得)

一体ケニアで何が起こっているのでしょう?
新型コロナウイルスの感染者は8月2日時点で21,363人*2(日本:38,947人*3)に達していました。これはアフリカ全土(サハラ以北含む、55カ国中)で7番目*2に多い数字です。

推移を見るとより深刻です。図1は、新型コロナウイルス新規感染者数の推移をケニアと日本で比較したグラフです。日本の厚生労働省が集計方法を変更した5月8日から8月2日までを掲載しました。6月下旬くらいから日本とほぼ同じようなペースで急増していることがわかります。

Chart by Visualizer
図1: 新規感染者数の推移

以下のデータを元に筆者作成
日本:厚生労働省オープンデータ(2020/8/3取得)
ケニア:European Centre for Disease Prevention and Control (2020/8/3取得)

ケニアの人口は日本のほぼ半分ですから、日本と同じようなペースで感染者が増加すれば、乱暴に言えばそのインパクトは約2倍です。人口100万人あたりの感染者数の推移(図2)は、ちょうど休校継続の発表があった頃(7/10)に日本を逆転していました。

図2: 人口100万人あたりの感染者数(累積)の推移
(縦軸はログスケール)

札幌医科大学医学部 附属フロンティア医学研究所 ゲノム医科学部門ウェブサイトにて作成(2020/8/4取得)

学校での感染予防対策の理想と現実

ケニア政府は6月下旬までは9月の学校再開を目指して準備を進めていました。6月24日付現地新聞報道*4よれば、Magoha教育大臣(※Cabinet Secretary of Educationを大臣と訳しています) は、流水での手洗い設備、せっけん、非接触式の体温計などの整備、教室定員15~20名の実現などを学校長へ要請し、マスク2400万枚を調達することなど、学校再開に向けた対応策を指示しました。またケニア教育省は学校再開のためのガイドライン*5を準備しています。

少人数学級の実現
ケニアの初等学校(8年生)の様子(写真提供:長沼啓一氏)

しかし、こうした対策を講じることは現実には困難です。
例えば教室定員について考えてみましょう。表2は「教師一人あたりの児童・生徒数」(PTR: Pupil-Teacher-Ratio)のケニアと日本との比較です(小学校と中学校が同じ数値なのは、ケニアは2016年まで8-4制[初等8年/中等4年]であったためと思われます)。

表2: 教師一人あたりの児童・生徒数(PTR)
(カッコ内は最新データ対象年)
ケニア日本
小学校30.65 (2015)15.66 (2017)
中学校30.65 (2015)12.28 (2017)

ユネスコ統計局データベースより筆者作成(2020/7/30取得)

途上国では学級定員が法的に定められていない場合が多く、また基準があったとしても施設不足や人口の急増などにより遵守できないことが多いです。従って基準値ではなく、実際にどの程度の子どもたちが一つの教室で学んでいるかを検討することが重要です。教育統計には教室一つあたりの児童・生徒数(PCR: Pupil-Classroom-Ratio)という指標がありますが、いわゆる「青空教室」の扱いなど、国際比較に耐えうる集計が難しいため、あまり用いられていません。代わりに、教育の質(子ども一人ひとりに教授がどの程度行き届くのか)を評価する指標として国際的に用いられる「教師一人あたりの児童・生徒数」(PTR: Pupil-Teacher-Ratio)から見当をつけるのが一般的です。

教師一人あたり30人程度なので、一見少しの努力で15~20人学級が実現できそうですが、この数字を見る場合は注意が必要です。PTRは単純に就学児童生徒数を、校長先生ら管理職や音楽などの専科の先生を含めた全教員数で割った数字になります。そのため実際の一クラスあたりの児童生徒数よりもかなり少なくなります。例えば日本の小中学校の定員(上限)は40人(小1のみ35人)ですが、PTRはその半分から1/3程度です。多くの途上国では情操教育が充実していないため専科先生は殆どおらず、PTRと一クラスあたりの児童生徒数の乖離は日本ほど大きくありませんが、それでも筆者の経験では倍近い場合が多いです。ですので、ケニアでは5~60名程度の子どもたちが一つの教室で学んでいると考えるのが妥当です(長沼氏によれば、地方の小規模校では20人/クラス程度、都市部の大規模校では40~80人/クラス、平均すれば 50~60人/クラス程度だろうとのことでした)。このような現状で15~20名学級を実現するのは容易ではありません。

学校の衛生環境
アフリカ(ルワンダ)の小学校のトイレ(中央の青い部分、2014年筆者撮影)

衛生環境はどうでしょうか?
SDG4のアルファベットターゲット(達成手段を規定)では、学校のトイレや手洗い施設など整備状況が指標になっています。

SDG4 a.1
以下の設備等が利用可能な学校の割合 (a)電気、(b)教育を目的としたインターネット、(c)教育を目的としたコンピュータ、(d)障害を持っている学生のための適切な設備・教材、(e)基本的な飲料水、(f)男女別の基本的なトイレ、(g)基本的な手洗い施設
外務省:Japan SDG Action Platform

残念ながらケニアのSDG4 a.1はまだ未評価(データなし*6)であったため、SDG6(安全な水とトイレをみんなに)を調べてみました。SDG6には、「石けんや水のある手洗い場を利用する人口の割合(6.2.1b)」という指標があります。、ケニアではこの割合(達成度)がわずかに約25%*7でした。ちなみに世界全体での達成度が約60%、隣国で同程度の人口規模のタンザニア(約5800万人:2019年*8)は約48%ですから、かなり低いことがわかります(指標数字はいずれも2017年)。

アフリカ(ルワンダ)の小学校に設置された手洗い場(2014年筆者撮影)
こうした簡易なものでも、汚水が混ざらない/流水であるよう管理されていれば「上水設備のある手洗い場」とされる

この指標をモニタリングしているWHO/UNICEFのJMP (Joint Monitoring Programme for Water Supply, Sanitation and Hygiene)は、学校の水衛生環境についても調査しています。これによれば*9、ケニアで「安全な飲料水」および、「トイレの下水」について基本的な設備のある学校は0%と報告されています(「手洗い場などの上水設備」はデータなし)。首都の私立学校など含めこれらの設備が整った学校がまったくないということは考えにくく、またタンザニアの同整備率データが「飲料水・0%/「上水・22.5%/下水・47.1%」であることからも、この数字を安易に信じることはできないと思いますが、ケニアの学校の衛生環境では、新型コロナウイルスの感染予防対策が難しいことは容易に想像できます(数字はいずれも2016年)。

まとめると、ケニアは教育の普及が進んだため、教室が混み合っていた反面、学校設備改善が追いつかず、衛生面の整備はアフリカ諸国の中でも遅れていた、という構図が見えてきます。

こうした中での新型コロナウイルス感染の急拡大と、感染症対策に必要な学校環境とのギャップ。この2つの現実を目の当たりにすれば、ケニア政府の判断は至極当然なことなのだと言わざるをえません。

中編に続きます)

参考:

*1 世界銀行 (2020/7/30取得)
*2 European Centre for Disease Prevention and Control (2020/8/3取得)
*3 厚生労働省オープンデータ(2020/8/3取得)
*4 The Star: Each class to have 15-20 students once schools reopen – Magoha (2020/7/30取得)
*5 ケニア教育省「GUIDELINES ON HEALTH AND SAFETY PROTOCOLS FOR REOPENING OF BASIC EDUCATION INSTITUTIONS AMID COVID-19 PANDEMIC」 (2020/7/30取得)
*6 ユネスコ統計局: SDG Country Profile Kenya (2020/7/30取得)
*7 UN Water(2020/7/30取得)
*8 世界銀行 (2020/7/30取得)
*9 WHO/UNICEF JMP: Download Index (2020/7/30取得)

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