新型コロナウイルスと「万人のための教育」(その1)

解説:北館尚子(シニア・コンサルタント)
一橋大学卒業、ハーバード大学大学院修了。元UNESCO(国連教育科学文化機関)職員

新型コロナウイルス・パンデミックは世界の教育の状況を一変させ、前例の無い規模で学習の中断と混乱を引き起こしました。そして未だにワクチンや治療薬等による根本的な予防・治療法が確立されていない状況の中で、大橋からの報告のとおり各国の教育現場ではパンデミックの影響によって中断した学習の再開と失われた学びの取り戻しのための取り組みが進められています。 そんな折、6月23日にUNESCOが、教育分野の持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた進捗状況を取り纏める年次評価報告書である「グローバル・エデュケーション・モニタリング・レポート」の2020年版 (副題:インクルージョンと教育 – すべての人とは誰一人取り残さないこと)を発表しました。

参照:UNESCO|Global Education Monitoring Report: 2020 Inclusion

前回の一連の記事では、新型コロナウイルスと人間開発についてUNDPの「人間開発報告書」を軸に辿ってみましたが、今回は新型コロナウイルス危機によって改めて問い直される「万人のための教育」の意義について、UNESCOの報告書を軸に考察してみたいと思います。

改めて注目される「万人のための教育」とは

「万人のための教育」(Education for All、以下「EFA」)は、過去30年間の教育開発の歴史を振り返る上で欠かせない理念とその実現に向けた取り組みです。以下に、EFAに関するこれまでの主要な動きと取り決めについて振り返ってみます。

EFAという考え方が初めて明文化されたのは、1948年に国連総会で採択された「世界人権宣言」に遡ります。この宣言の第26条に「すべて人は、教育を受ける権利を有する」と明記されました。ところが、その後しばらくはこの理念を実現しようとする世界的な動きはあまり見られず、具体的な取り組みが始まるまでには1990年まで待たなければなりませんでした。

参照:外務省:世界人権宣言全文 (和文)

1980年代にかけて、多くの国で採用された「構造調整」政策による緊縮財政措置の一環として、各国の教育分野の政府支出が大きく削減されました。その結果、様々な教育指標の後退が起こったことに対する危機感が高まったことを受け、1990年にタイのジョムティエンで、UNESCO・UNICEF・UNDP・世界銀行の共催で「万人のための教育世界会議」が開催されました。

この会議には155ヵ国の政府・33の国際機関・125のNGO機関の関係者が一同に会し、教育を主題とした初めての大規模な国際会議として歴史的な意義を持つことになります。

この会議での合意を基に採択されたのが「万人のための教育世界宣言(World Declaration on Education for All)」です。この宣言の中で、教育はすべての男女・すべての年齢の人を含む、世界中のすべての人の基本的な権利であることが確認され、EFAを実現するための「行動の枠組み」と6つの達成目標も提示されました。

万人のための教育世界会議による達成目標 (1990年)
  1. 就学前教育の拡充
  2. 2000年までに初等教育アクセスと修了の普遍化
  3. 適切な基準に基づく学習到達度の改善
  4. 2000年までに成人非識字率の半減
  5. 青年や成人に必要な教育訓練の機会の拡充
  6. 生活向上や持続可能な開発のための知識・技能・価値を獲得する機会の拡充

参照:UNESCO | World Declaration on Education for All and Framework for Action to Meet Basic Learning Needs

この会議を契機として、世界的な開発課題としての教育の重要性が認識され、EFAの実現が国際社会における共通の目標として明示されたことで、その後の教育支援の国際協調の機運が高まり、1990年代以降にEFAは教育開発の推進の大きな原動力となっていきます。

ジョムティエンの10年からダカールの10年へ

その後、1990年に設定されたEFA目標の達成度を評価する機会として、2000年にセネガルのダカールにおいて世界教育フォーラムが開催されました。この会議に先立って、各国・各地域における2000年までのEFAの進捗状況の評価が行われ、この結果を取りまとめた内容を基に、「ダカール行動のための枠組み」として新たに2015年までの6つのEFA達成目標と行動指針が採択されました。
参照:UNESCO | Education for All 2000 Assessment: global synthesis

ダカール行動のための枠組みにおけるEFA達成目標 (2000年)
  1. 就学前教育の拡充
  2. 2015年までに無償義務初等教育修了の普遍化
  3. 青年や成人の学習ニーズに応じた教育機会の確保
  4. 2015年までに成人識字率の50%改善の達成・成人の基礎教育へのアクセスの平等の確保
  5. 2005年までに初等・中等教育における男女格差の解消・2015年までに教育のジェンダー平等の達成
  6. 教育の質の改善

参照:UNESCO | The Dakar Framework for Action: Education for All: meeting our collective commitments

このフォーラムを機に、EFAの達成状況の定期的な進捗把握と評価の必要性が認識され、2002年から年次評価報告書として「EFAグローバル・モニタリング・レポート 」がUNESCOによって発行されるようになりました。

EFA目標からSDG目標へ

そして、2015年にはEFA達成状況を総括し、2015年以降の新たな教育目標を協議するための世界教育フォーラムが韓国のインチョンで開催され、2030年までの教育目標として、これまで取り組まれてきたEFAの理念を継承した「インチョン宣言」が採択されました。

このインチョン宣言は、その後国連総会で策定された17項目のSDGのうちの教育分野の「目標4(SGD4):すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」に統合されます。

参照:UNESCO | Education 2030: Incheon Declaration and Framework for Action for the implementation of Sustainable Development Goal 4

また2015年のSDG採択を受けて、2016年からは「EFAグローバル・モニタリング・レポート 」の後継として「グローバル・エデュケーション・モニタリング・レポート」が、SDGの教育分野のターゲット達成に向けた取組の進捗状況をとりまとめた年次評価報告書としてUNESCOから発行されることとなりました。

次回の記事では、上記のUNESCOの年次報告書を基に、過去約20年間の教育開発の流れを辿ってみたいと思います。

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